
第三十七章 思わぬ訪問客、理亜、敗れる 五話
理亜は、絶対に止めて見せる、と言う意気込みで、プレッシャーをかける様なファール擦れ擦れの際どいディフェンスをする。
「あれだけ張り付いてたら、どんなオフェンスのスキルを持ってる選手でも、そう簡単に好転できないはずだ」
豪真が期待を胸に解説する。
しかし、イリアスはインサイドアウトで右横に移動しようとした時、それすらもフェイントで、後ろにバックステップする。
釣られた理亜は右横に出てしまったが、切り替え、すぐに際どいディフェンスをしようとしたその時、またもやイリアスは消え、足音やボールの音など残さず、左サイドからのレイアップシュートを決めた。
気付いた時には、ボールはネットをくぐっていた。
「どうやらここまでの様ですね」
「ま、待って! もう一回! もう一回!」
イリアスが凛々しく去ろうとした時、理亜が回り込み催促する。
すると、イリアスが深い溜息をこぼす。
「いいえ。今再戦しても、結果は変わりません。理亜さん。貴方は相手の動きに呼応するのは良いですが、分析力や応用力に欠けます。ですので、今以上の高みを目指したいなら、格上の相手との勝負に執心する事です。強者との死闘こそ、己の技を進化させられます。でなければ、貴女は成長しません」
淡々というその言葉に、理亜は思わず暗い表情で俯く。
理亜は、今まで強敵と戦ってはいたが、遥か格上と言う選手との対決はしてこなかった。
持って生まれた才能には、それ相応のリスクがあった。
それは贅沢な悩みだが、理亜自身、そう言うのに関しては無頓着でもあった。
考えた事も無い、自分自身の成長の壁。
それを容易く口にするイリアス。
理亜は何となく分かっていた。
決して、今まで戦ってきたプレイヤーたちが弱いと言うわけではない。
絶対的な強者との対決は生まれて一度もなかった。
だからこそ、理亜は何となく分かってしまったのだ。
それを言われては何も言い返す事が出来なかった理亜。
ただ、黙って去っていくイリアスの背中を見つめるぐらいしか出来なかった。
「待てイリアスよ」
「どうしました?」
そこで、芙美がイリアスを静止させる。
「昔の主にその様なスキルは無かった。まさか、我との試合は手を抜いていたと言うのか?」
芙美は鋭い目でイリアスを見る。
「そのような事はありません。先程も仰ったとおり、強者との戦いが己が繭を破るのです」
背中を見せながら朗々とした面持ちのイリアスに、芙美もまた何も言い返せなくなった。
芙美も痛感した。
イリアスは二年前に比べ、明らかに別人と言えるほど、レベルを上げている事に。
それに対し、芙美は何か心の中に小さい穴が開いた感じがした。
感情が手の平で転がされながらも、どこか虚空を見る様な目。
芙美はイリアスに一体何が起きたのか考えるようになった。
そんな芙美を置いてきぼりにするかの様に、イリアスはドアの前でお辞儀をし「失礼します」とだけ言い残し去っていった。
豪真は、理亜が敗れた事に、落ち込む様子を少しは見せたが、すぐに立ち直り、理亜のためと思い、寄り添い、肩に手を当てる。
「気にするな理亜。バスケはチームプレイなんだ。お前が勝てなければ、チームで勝てばいいんだ」
「……豪真さん。うん!」
憂鬱な表情をしていた理亜だが、豪真の熱い眼差しで吹っ切れた。
それを見ていた奏根と順子が、ある事を思いつく。
それは、昨晩、ツエルブが口にしていた言葉。
千川明人。
その名に、もちろん覚えはある。
一緒に食事をする時に、軽い自己紹介はしていたから、ツエルブの不気味な顔から放たれた名前が、嫌でも耳に残る。
「なあ、ふしだら女」
「ん? どしたの? なんか深刻な顔だけど? あ、もしかしたら私が負けたから慰めの言葉でもかけてくれるの。もうー。奏根ちゃんたら。意外とうぶなんだね」
てへへへ、見たいなノリで、心配そうにしていた奏根を弄る理亜。
「はあ⁉ んなわけあるか!」
奏根は先程の暗い気持ちが覚め、日頃の鬱憤を理亜にぶつけると、理亜はたまらず悲鳴を上げる。
それを笑ってみていた豪真たち。
奏根と順子は、要らぬ心配をすれば、理亜のプレーに支障が出ると判断し、黙っている事にした。
もちろん、警察の事情聴取の時も、明人の名前は伏せていた。
理亜やその弟である明人に、被害が被るのではないか、と言う危機感がそうさせた。
「よし! 嫌な事なんて忘れて飯でも食いに行こうぜ! どうせ明後日には試合だし、今負けたからどうこうできる日数でもないだろ」
あっけらかんとした態度で清々しく口にする順子に、一同は笑みを浮かべる。
そして、豪真の驕りで、家族も総出で食事をする事に。
ラーメン屋で食事をしている最中、明人は順子と奏根に後ろめたい目を向けていた。
当然と言えば当然なのだが、明人はいつになれば、心の呪縛から解き放たれるのか。


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